3.11、お父さんは心配症

緊迫と感謝の夜の備忘録です。

息子ちゃん生誕10ヶ月となる10日、翌週仕事で上京する私を置いて前乗りする形で妻子は東京へ。翌11日は同じ月齢の娘さんを持つお友達、Hさんと渋谷の「よつばと!ひめくり展覧会」を観た直後に、東急入口で地震に遭遇。

仕事中だった僕は実家からの母の電話で地震のことを知る。同時にYahoo!で確認。規模の大きさ驚き、すぐさまメールで無事を確認。電話して声も聞く。深刻さが伝わっているか怪しかったので、とにかく渋谷を早く脱出せよと強く言ったものの、電車が動く気配なし。義母へは僕から連絡。横浜の義妹にも連絡。横浜は停電で何が起こっているのかまるで理解できていなかった。自然と僕が情報の中継点になる形に。

16:53。まだ渋谷にいるというので、正直のけぞる。ただ、念のため息子の離乳食は数食分、加えておむつと自分たちの食料は確保したとのこと。Hさんと一緒に東急東横店のベビー休憩室に避難中。タクシー利用かホテル宿泊を視野に入れるように指示。

17:47。タクシー断念。ホテルも空室見つけられず。体が無事だったのはよいとして、街のパニックや寒くなって息子の体力が心配になり、焦りだす。「JRは終日運休」との情報。完全に「帰宅難民化」。うがー!(なんで即タクシーに乗ってくれなかったの!)となる。さてどうする。

このあたりからTwitterが威力を発揮。まずHさんのご主人もフォローしていたので、ふたりの無事を連絡。加えて、僕の携帯もお伝え。ご主人も足止めを食らいながら、どう互いの妻子を安全なところに誘導するか手を尽くす。auの災害掲示板など、情報の集約方法を模索。けれど東急が赤子連れを寒空に放り出すことはしまい。とある程度楽観していた。けど甘かった。

20:33。東急を出たふたりは携帯の充電も怪しくなり、まずアップルストアに避難。このころは渋谷の避難所としては渋谷区役所とか青学の体育館とかしか情報なし。Sさんから、ご主人の車でピックアップできるかもとの申し出。ありがたかったが、難しかったと思います。一方、Hさんご主人が渋谷近辺で泊めていただけるお友達を探してくださる。合流場所としてセルリアンタワーが提示されたものの、R246の混雑ぶりから考えると、それもいつになるか不安。
「いざとなれば朝まで面倒見てくれて、キャパシティに余裕のありそうな暖かい場所」
を探す。RTの洪水から使える情報を探すのに血眼。区役所はテレビでも案内されていたので、多数の人が殺到する不安。青学体育館は寒いのではないか、またわざわざ宮益坂を上って万一フラれた場合が怖かった。思いつくところをあれこれ、検索。代々木体育館はどうだ。国連大学は。こどもの城は。Bunkamuraは結構いいんじゃないか。

そんなときTLでCさんが「ユーロスペース」が受け入れ中とHさんに発信。ユーロスペースは、思ったほどの混雑はなく、スタッフの方には親切にしていただいたそうです。ありがとうございます。そこからは連絡は途切れ途切れ。そこへHさんのご友人、Kさんが車で救出に来てくださる。それが23:00。そのまま翌12日朝、電車が動き出すまで面倒を見ていただきました。面識のない私の家族に対してのご厚意に、心から御礼を申し上げます。

この一夜で改めてTwitterの威力を痛感したし、そこから繋がった好意の連鎖に感動しました。今になってみると、東急のベビー休憩室にいた他の母子たちはどう一夜を乗り切ったのでしょう。今さらながら心配です。
最後に、まる一晩ご機嫌で新米ママに手を焼かせなかったふたりのちびっこにも感謝。きみたちはとってもいい子です。